今年も暑い夏がやってきました。
会社も種・野菜苗の生産販売の最盛期です。
猛暑期と最繁忙期が重なるこの季節は心配の「種」が尽きません。
おまけに新型コロナウイルス第2波が予想より早く到来、感染防止と熱中症対策の間で例年以上にストレスが貯まる毎日です。
少し話題が現実からそれますが、この新型コロナウイルスによるパンデミックは地球環境問題にどのような影響を与えるのか今のところ見通せません。最悪のシナリオは感染症問題が今後も次々起こり、地球環境問題は2の次、国家も企業も理念の上でも財政的にも関心が薄れ、予算を割く余裕もなくなることです。それとも更なる過酷なパンデミック自体によって地球環境問題自体が消滅・・・これは今を生きる我々にとって最悪のシナリオです。
1957年生まれの私にとって、1960年代の環境問題は公害問題でした。
「水俣病」「四日市喘息」「イタイイタイ病」、毎日ニュースで流されるベトナム戦争の映像と水俣病の映像が焼き付いています。ドブ水のような身近な河川の存在はリアルな問題でした。また枯葉作戦に象徴されるベトナム戦争そのものも地球環境問題でした。
1972年ローマクラブが「成長の限界」を発表し、化石燃料の枯渇を警告しました。
翌1973年第4次中東戦争が勃発し、トイレットペーパー騒動が起きました。このまま石油を使い続ければ20世紀中に石油は枯渇すると言われました。後から知ったことですがこの1972年国連による初めての地球環境会議が開かれ、ストックホルム宣言が採択されました。
「ONLY ONE EARTH」(かけがえのない地球)が標語となりました。
当時左巻きだった私にとって車社会の伸展は敵(人類の未来にとって悪いこと)でした。車に憧れる同世代は無責任ではないかと自暴自棄な気分になったときもあります。一方原子力は化石燃料に代わる夢のテクノロジーと信じていました。70年代から80年代の環境問題は化石燃料の枯渇、及び地球資源の有限と人口爆発問題でした。
ところが1990年代になると、新たな油田も次々発掘され、化石燃料の寿命も21世紀後半まで持ちそうだという話になりました。1990年代の主な地球環境問題は「オゾン層破壊問題」となりました。そのような時代に国連主催でリオデジャネイロで開かれた地球サミットでの標語「SUSTAINABLE DEVELOPMENT](持続可能は発展)には心を動かされました。
この理念が本当に実現可能であれば正に人類社会は持続可能と楽天的に考えました。ゼロ・エミッション社会という言葉も提唱されました。しかしその後21世紀を迎えると地球環境問題は二酸化炭素(CO2)排出量増加による地球温暖化問題に収斂されつつあります。オゾン層破壊の問題はどこに行ったのだろうと思う程です。そして2015年の国連会議後提唱されている「SDGs」の標語、あるいはレインボーのようなデザインは、1992年のリオでの熱狂の焼き回しではないかと思ってしまいます。そして今年2020年の新型コロナウイルスによるパンデミック。地球温暖化と未知の感染症によるパンデミックは連動しながら、今後次々未知の現象が人類社会に起きるのではないかと恐れられています。
未来について悲観的な見方となりましたが、その中でも食糧生産を担う農業の役割はますます重要になると自負しています。人口爆発は90億人前後で収斂するというのが私の見方ですが、安定的な食糧生産は唯一「持続可能」な人類資産であると考えます。農業の未来に少しでも役立てばと思っています。
川西裕康