この2~3年政治分野を中心に「忖度」という言葉が盛んに使われるようになりました。
忖度の意味を調べると「他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること」とある。元々マイナスイメージとして使われる言葉ではないのですが、ぴったりはまる英訳も無いようで、日本人独特の他者への気遣いだと思われます。
しかし忖度される側が権力者の場合は、その意味合いが忌まわしいものになる場合もあるよです。そして忖度した側が法を犯す行為に及んだ時は、忖度した側が罰せられる可能性はあるが忖度された側が法的責任を追及されることはほぼ皆無でしょう。もしそうだとすればこれは非常に巧妙なパワーハラスメントではないかと勘繰ってしまいます。ここまで言うと暗に現政権の批判をしていると思われがちですが、ふと自分を振り返った時、我こそはお山の大将、忖度する感性に乏しく、忖度されていることに気が付かない「我」であることに思い至りました。
会社は進むべきベクトルを合わせることが大事だと言いながら、本当に理念を社員と共有できているのか、過度に忖度されているだけではないのか、たまに立ち止まって考えることができたならば、私ももう少し大人になれるでしょう・・・。
川西裕康
私が住んでいる家の前には豊橋市交通量の多い、しかも市電が90度大ききカーブする大きな交差点があります。その角には中途半端に矮性緑化木が植わっているのですが、毎年6月になると雑草だらけ、見るに見かねるほど見苦しくなる上に、たばこの吸い殻や飲みかけのペットボトル、時にはカップラーメンが捨てられることもあります。その一角に全く無断、思いつきでひまわりのタネを植えてみました。驚いたことに見事に芽を出しました。あとは雑草との戦いです。日本の畑は雑草との戦いという話は、商売柄も聞いていたのですが、実体験すると本当にびっくり、毎朝、毎夜、愛犬と散歩がてら雑草を抜くのですが、毎朝毎夜新たに生えてきます。2~3日出張するだけで、呆然とするほど雑草が暴れまわっています。雨が降らない日が続いたときは、店からバケツを持って水をぶっかけたりもしました。しかしついにそのひまわりが咲いたのです。うれしくて、うれしくて、こんな素朴なうれしさは60年の人生の中でかつて経験したことがないほどです。思わずつぶやいてしまいました。
交差点街路樹
開花前ひまわり
ひまわり咲き始め
開花ひまわりアップ
開花ひまわり遠景
川西裕康