政府は「農政の憲法」とされる食料・農業・農村基本法改正案を国会に提出した。2024年度予算成立後審議に入るようですが、国民の関心(メディアの関心というべきか?)は薄い。また、関心のある人にとっても、立場によって見方が180度異なる。それを私は「農業問題のパラドックス(逆説)」と呼びたい。
(1)「食料安全保障の確保」が、基本法の中心理念であることは間違いない。自国農業衰退による食料危機を、多くの国民は心配している。食料自給率38%、将来は更に低下するのではないかと危惧している。しかし、農業現場での心配は「生産過剰」の問題です。お米も野菜も常に生産過剰による暴落を心配している。更に言えば、農業生産資材高騰にも関わらず、生鮮食料品の価格は上がらないことに対して、一定の所得補償政策を打ち出すべきか、生産過剰が収まるまで放置すべきか議論が分かれている。率直な意見を言えば、生産不足気味のほうが生産者はありがたい。
(2)「環境との調和」との温度差。国は農林水産業の環境負荷を減らすための7項目「①肥料の適正使用 ②農薬の適正使用 ③電気・燃料などエネルギーの削減 ④悪臭や害虫の発生防止 ⑤廃棄物の発生抑制と循環利用・適正な処分 ⑥病害虫防除など生物多様性への悪影響防止 ⑦環境関連法令の順守」を掲げ、これをクリアしないと補助金対象から外す政策の実現を目指している。多くの国民は安心・安全な食糧生産を期待し、有機農業の推進や化学農薬・肥料の削減ができれば、環境にも優しく、生産コストも下がり、良い事ばかりと考えている。
しかし、現場では大雑把に有機農業を実現するには、生産量半減、労力は2倍と思っている。掛け算で今の4倍位の価格で売れないと経済的に合わないが、現実はせいぜい1.2倍位しかならない。環境問題の取り組みにしても、そもそも国土の保全、環境と文化の守り手は農村ではないかという自負がある。双方の認識には大きなギャップがある。現在、EUで多発している農民デモも、根底には「農業は環境の破壊者」と定義づけるような環境政策に、農民が我慢できなくなったということが大きいのではないだろうか。環境の保護者と自負していた農民が、犯罪者のように扱われたら我慢出来ないだろう。牛のゲップがCO₂増加の主要な原因と言われてもなかなか打つ手はない。また、循環利用型農業は農家も望むところであるが、そのためには使用資材削減効果の何倍もの設備投資が必要となる。
私が具体的な提言を出せるわけではないが、一番心配しているのは基本法改定が成立しても、農業の担い手がいなくなるのではないかということ。現場と理念の間には、大きな乖離があることを、できるだけ多くの人々に知っていただきたい。そしてメディアも、もう少し深掘りしていただき、かつもっと積極報道してもらいたい。