きのう豊橋市内の東観音寺よってきました。
この寺は馬頭観音といわれています。
動物を飼われている方(畜産関係)などがお参りに来ていました。
戦時中までは軍馬なども活躍していましたのでその慰霊碑もあります。
(従軍馬匹忠魂碑)
このお寺の建立は大変古く西暦733年(天平5年)。
現在地に移転されたのは1716年(正徳6年)のことです。
『何故?』 移転? ここが重要なところです。
移転した理由は1707年(宝永4年)宝永地震の「大津波」により被害を受けた。
『大津波の原因は宝永地震』にあります。
宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の1707年10月28日(宝永4年10月4日)に起こりました。
東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 を震源域として発生した巨大地震です。
南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定されるようです。
記録に残る日本最大級の地震のひとつとされ世にいう宝永の大地震です。
この宝永大地震の被害により現在地に移転したとの記録が残っているようです。
また当時を記す津波前後の絵図や石碑も残されているようですね。
一度見てみたいですね。
当時は現在の海岸線あたりに建っていたと言い伝えされています?
写真の駐車場用に整備されたあたりに建っていたかどうかはわかりませんが、
当時の街道(伊良湖街道)は現在は侵食されて海の中(砂浜から数百メートル???)ようです。
(現在の街道(国道42号線)は海岸より概ね1.5キロメートルのところです。)
結構陸地があったようです。想像できませんが?県境を越え浜松側の景色を見ると地形から想像ができますが?・・・想像の域は出ません。
地元の方は結構高台に住んでいます。
標高50メートル以上はあると思います。
江戸時代は半農半漁が出来たのも海岸に結構な陸地があったのではと思います。
津波に対しての言い伝え
「潮が一気に引いたら急いで丘へ上がれ」
「言い伝え」や「地名の由来」などにも関心を持つ。
この日は車の台数は少なかったですね。
海岸へ下りる道路は広くありませんので時間により混雑しそうですね。
サーファーの方が多く訪れるようですね。
エンジョイしているときはとかく無防備となり易いので最低限のリスク管理は必要と思います。
「バスや航空機は非常口」の案内がありますが「自然に対しての非常口」はありませんので意識しておく必要があります。
記事 経営企画課 スタッフより
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