弊社創業50周年に当たり、ささやかな社史を編纂させていただきました。50年は半世紀、かつて人生50年と言われた時代がありました。現在では現役で働ける時間が約50年です。とは言ってもさすがに100周年時に創業時を生きて語れる人はいないでしょう。50年はやはり大きな節目、未来のため会社の羅針盤として歴史を記録することは、意義あることと考えました。しかしこれも50年間ご支援いただいたお得意様、仕入れ先、関係先、そして何よりも歴代の諸先輩、創業役員、また社員スタッフ皆様のお蔭と改めて感謝申し上げます。
昭和43(1968)年10月31日、弊社は豊橋・田原の4種苗店が新たに資本を出し、社員を転出させて産声を上げました。振り返ればまさにジャストタイミングでした。同年は東三河全域に豊川用水が開通し、地域農業の劇的な近代化が予見できる年でした。また日本経済は毎年10%以上の高度成長期、工業の発展と同時に農業も高度成長期を迎えていました。まさに「旬」だったのです。そうした時に手前味噌ではありますが、企業合同を成し遂げた4人の創業者の才覚、そして並外れた幸運を感じずにはいられません。性格や考え方も全く異なる4人の経営者の下で働く社員はもっと大変だったと思います。しかし需要が供給をはるかに上回る時代、内部の軋轢にとらわれる間もなく、どんどん拡販できたことが今日まで続く最大の要因であったことは間違いありません。新会社を信じて多くの注文を出していただいたお客様のおかげと改めて御礼申し上げます。
創業50周年を迎えるに当たり、未だに完全には解けない疑問があります。創業前、私は小学生でした。何度も父親の車に乗って現在の本社地を見に来ました。車の中で深刻そうに話し合う父と母の会話をよく覚えています。50周年を迎えるに当たり、残念ながら創業時の4名は既にこの世を去っています。最大の疑問は、誰がトヨハシ種苗((現トヨタネ)設立構想を持ち出したのか、またどうして合意できたのかです。実はこのことは私の父も含めて、創業者4名の誰からも具体的に聞いていません。それはある意味素晴らしいことで、誰も自分の手柄にしなかったということを意味します。近年ほぼ定説になったのは、創業の一人が、最重要な仕入先種苗メーカーの協力を得ながら発案し、他の3名が時節や当時の商売環境を総合的に勘案し、合意に至ったということです。合意の中の一つが、新会社は販売会社でありながら、自前の「研究農場」を持つということでした。このこともその後の弊社の発展と人財育成、商品開発につながったのです。
私たちトヨタネはこれからも「豊かさ実る、タネを。」を合言葉に、園芸農業の種蒔から収穫までの様々な課題解決に役立つ企業を目指して、真摯に、そして誠実に歩んで参ります。
皆様のより一層のご指導、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
川西裕康
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