ブログ「社長のつぶやき」

2012.07.24 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

初めての挑戦「GPEC」~*ポイントはお客様への提案と提供*~

九州を中心に記録的な豪雨が続いていますが、東海地方は717日突然「真夏」になったという感じです。会社にとってもいよいよ秋冬種苗販売の最盛期です。種・苗は基本的に「農産物」故、毎年人気のある品種が品切れになったり、また播種期に間に合わなかったり、はたまた苗の出来が思い通りでなかったりと、お客様にご迷惑をかけることも度々です。誠に申し訳ございませんが、できうる限りお客様の予定が狂わないよう、代替手段を提案するのも弊社の大事な仕事と思っています。

そして今年は、この一番の忙しい時期に東京ビッグサイトで開催されるGPEC(施設園芸・植物工場展 725日~27)に、ほとんど初めての挑戦ですが、出展をさせていただきます。弊社の会社としての特徴はと言えば、施設園芸を増設、または新規のお客さまに対して、種まきから収穫までのお手伝いができるということです。もちろんお客様の意向に沿った施設および栽培システムの提案もいたします。まだまだ十分でない所ばかりですが、弊社にとって最大の喜びは、種の選択からお付き合いしていただいたお客様に、お陰でとてもよい収穫ができたと言っていただくことです。その途中では、弊社が保有するソフト技術、サービスをどれだけお客様に提供できるかがカギとなります。なかなか収穫物販売のお手伝いまではできませんが、そうした一連の当社の取り組みをなんとか表現したいとスタッフ一同、展示会に向けて奮闘しています。是非足を運んでいただけたらと思っています。

2012.05.22 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

「真似ろ!」の次へ

弊社は4月末決算です。どうして4月末となったのかは、よく聞いていませんが、おそらく4月は店頭小売・家庭菜園が繁忙期のため、少し一段落する4月末を選んだのだろうと思っています。

しかし4月決算には欠点もあります。毎年ゴールデンウイークの最中なので、せっかくの新年度入り(会社にとってはお正月のようなもの)も気が抜けた状態で迎えることになります。そうした状態を補う意味もあり、弊社では毎年5月の早い時期の土曜日に社員全員が一堂に会し、「経営計画発表会」と「新入社員歓迎会」を豊橋駅前のホテルで開催することが恒例になっています。

この「経営計画発表会」と「環境整備(朝全員で掃除をする)」「経営計画書による経営」は3点セットで、(株)武蔵野の小山社長に指導していただいたもので、今年でちょうど10年目になります。「習うよりも慣れろ」「頭でっかちにならず、良いと思ったことは素直に真似ろ!」というのが小山先生の教えでした。「サルまねでも3年継続すれば、自分のものになる」、そして「10年継続すれば会社の文化となる」と言われました。

今年で10年目を迎え、振り返ってみれば確かに「会社の文化」になってきたと手ごたえを感じていますが、同時にマンネリと停滞感を感じるのも正直なところです。「3年真似たら、徐々に自分の色を出せ」と教えられていたことを忘れていたようです。

 最近小山先生とは別に小宮一慶さんと言う著名なコンサルタントの話も聞きました。「GOODはGREATの敵!」という言葉がありました。「真似ろ」という教えは、ぼんくらな私にはありがたかったのですが、時間とともに「もっと良くする。今なれる最高の自分になる!」という気概がなければ、サルまねはサルまねのままです。仮に当社の好ましい文化になったとしてもGOODのままでは、次に来るのは「停滞」そして「堕落」であると肝に銘じてこれからも努力します。

2012.04.04 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

2012年4月「新入社員を迎えて」

皆さんこんにちは。

 今年は、桜の開花が昨年より1週間前後遅いですね。3月に入ると犬の散歩がてら、自宅近くの神社のソメイヨシノの蕾を観察するのが日課となっています。毎日少しずつ膨らみ、やがて蕾の先端がピンク色になっていくのを見るのは、朝の密やかな楽しみです。つるつるの桜の枝が、春になると葉っぱもないのにいきなり蕾を膨らますということを、毎年不思議だなと思いながら見ています。春は、生命の再生と神秘をもっとも感じる季節です。

 さて弊社の決算は4月末ですが、多くの会社がそうであるように、弊社にとっても4月は気持ちの上では新年度入りです。人事異動も41日からです。それに何より、4月は新入社員を迎える時です。弊社では、新卒リクルートを大切にしており、毎年少しでも新入社員を迎えます。しかし、おかげさまで45年経つ会社ですから、定年を迎える社員も毎年出てきます。こうした流れが出来る事こそ、文化・秩序、そして何より当社のアイデンティティの源泉となります。
 弊社が、ここまで来られたのは、支えて頂いたお客様と先輩社員のおかげです。4月はそのことの重みに感謝し、気持ちを新たにする月でもあります。そして何よりも新入社員の存在は、2年目社員に「もう新人でない」ことを自覚させる事が出来ます。そして言うまでもないですが、新入社員も迎える経営者の責務は重大です。私にとっては、そのことをしっかり自覚する時でもあります。

2011.10.16 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

日本農業は高品質志向のみか?

先週当社は幕張メッセで開催されたAGRITEC(農業資材展)に出展しました。出展内容は弊社が勧めるトマトのココバッグ栽培システムの紹介でした。お 越しいただいた皆様には厚く御礼申し上げます。当社の狙いはココバッグ栽培システムを通じた施設トマト増収案の提案でしたが、中々そこまで来場者に伝える 事は難しいだろうということで、今回は「ココバッグ栽培システム」(ハード)の紹介に徹しようということになりました。しかし実際に展示をしてみると、増 収に結び付く環境制御技術に興味を示す専業農家が多くいました。
 帰りの新幹線でたまたま読んだWEDGEという雑誌に「なぜ農業界は増収による コスト低減を語らないのか」(昆 吉則)と言うコラムが目に留まりました。日本農業の、特に米作については、長年の減反施策によって「単位面積当たりの増 収」は目標でなくなっています。それはそうで増収はすなわち減反面積の強化につながるわけですから、自らの首を絞めるだけだからです。この傾向は野菜や果 物でも似た潮流があり、増収と言うことが主要なテーマにならないようなムードがあります。農林省の言う農業の6次産業化とはすなわち、生産物にいかに付加 価値をつけて売るかということであり、キーは高品質にあります。しかし本当にそれだけで良いでしょうか?当社が目指す施設トマト栽培は、日本の気候を利用 して少なくとも中以上の品質のトマトを、数値を根拠とした複合された環境制御技術を通して、考えられる最大の単位面積当たりの収量を目指す栽培法です。当 面の目標は10a当たり50トン採りです。前のブログで紹介したモアークさんは、単位収量当たり付加価値(表面的には価格で数値化)を普通栽培品の3倍以 上に設定しています。私はこの流れも大事だと思っています。日本農産物を戦略的な輸出品とするためにも徹底した高品質路線は重要です。この流れは優れた農 業者かモアークさんのような高い志を持った新規参入者が時代を切り開くでしょう。弊社としては高収量を目指す農業のお役にたてるよう更に努力したいと思っ ています。

2011.10.11 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

TPP参加問題

TPP参加問題が再熱し始めました。
野田首相は11月までに決定する必要に迫られています。

私の現段階の考えを述べさせていただくと、現況の日本農業の構造の中でTPP導入は、稲作を中心として大きな打撃を受けることはまちがいなく、反対です。
しかし日本農業の将来を考えると、農業を戦略的「輸出」商品とするためには、貿易の自由化はむしろ受け入れる必要があると思っています。

現況の日本農業は、後継者不足、高齢化と言うことで将来が危ぶまれていますが、実態としては「農地」は余っているのです。余っている農地に積極的に野菜を作付けすれば、人口減少が続く日本社会の中では、間違いなく生産過剰で暴落します。
遊休農地が増えているのは、作る人がいないからではなく、作っても採算が合わないと思っている農家が多いからです。
供給を増やすには受け皿が必要です。それは「輸出」しかありません。輸出を増やすことによって、農業大国となることができます。また、食の貢献は日本の国際的な地位を高めます。

また輸出を念頭に入れないならば、当社のマーケットも間違いなく、右下がりのままです。日本の野菜・果樹・花卉・高級畜産・及びブランド米は大きな付加価値があります。香港や中国都市部、シンガポール、ロシア、アメリカの主に「富裕層」対象とはなりますが、将来輸出とすることは十分可能と考えます。
そのためには規模拡大意欲のある農家への農地の集中と、国を挙げての付加価値戦略、そして輸出インフラの整備を整えることが大事だと思います。

稲作については、例えば保護対象を5~10ha以上栽培の専業農家に限る。中山間地や棚田等の維持管理は、環境問題と割り切って、耕作者に環境維持料を払うなり、環境NPOに依頼するとか、家庭菜園の延長線上でお米を作りたいと言う人に貸し出す等の制度を作ればよいのではないかと思っています。

今週は以上です。

2011.10.07 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

モアークの有機農業

 昨日茨木のモアークグループという農業生産企業グループを視察してきました。

 モアークグループとは、茨木県つくば市に本拠を置き、伝統農法による有機農業を中心に、生産・流通(直売)・加工を通じて高収益を実現している企業です。西村松夫代表は、カーギルジャパンを経て、一流証券会社に転職、80年代のバブル期まさにその中心にいた経歴の持ち主です。 そうした経歴と、有機農業は経済的に成り立たないと本気で思っている私は、正直「胡散臭い」「何か私にはわからない錬金術があるはず」と先入観丸出しで視察に出かけました。   しかし現地で見た西村さんの経営・理念は何十年にもわたる深い洞察と経験・労苦に裏付けられたものであることを理解しました。

①「古来培われてきた、その土地の風土に適合した農法」の帰結として「野草をたい肥化して施肥を行うことによる土作り」すなわち「草農法」に行きついたこと。しかもその草は河川の草刈りで大量に発生するゴミ(雑草)の処理を一手に引き受けるという一石二鳥の方法です。

②有機農業にもランクがある。もちろんAランク、最上級品、本物中の本物を狙う。一般農産物と比べての付加価値(具体的には単位当たり価格)を最低でも3倍以上求める。現状の平均は3.4倍とのこと。もちろんビジネスとして高収益であること。

③流通業者を通さず、価値を認めてくれるユーザーに直接売ること(ホテル・レストラン・一般消費者)、そして契約をまもること。

数えればきりがないですが、以上3点がポイントと思いました。もちろん誰もができることではありませんし、かつて世界の金融界の先端で働いたノウハウも十分生かしていると思います。しかし農林省が「農業の6次産業化」を言いだす20年近くも前に、収益の上がるアグリビジネスを計画し、実践している人がいること自体大変な驚きでした。また西村さんの人としてのとてつもなく大きな器に感じ入りました。

 私は愛知県の大園芸地帯で商いをさせていただいています。農業を知らないメディア?や学者、そしてもちろん机上の理想論を描いているだけ?の官僚が、有機農業だの、アグリビジネスは21世紀の成長産業だのと述べているのは「たわごとだ」位にしか思っていませんでした。モアークグループの理念と実践だけでは、ボリュームの問題として食糧問題の全般的解決にはならないと思いますが、信念と理念と正直を基礎として「儲かる」有機農業ビジネスが可能だということを見られただけでも本当によかったと思っています。興味ある方はモアークグループで検索してHPをご覧ください。

 

2011.07.20 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

当社の節電

 今年の夏は、日本中の企業や官庁で「節電」対策が叫ばれています。製造業の皆さんは本当に死活問題で大変な苦労をされているわけですから、当社においても、やはり国の方針に従うべく、遅ればせながら節電対策を講じています。とは言っても大したことはないのですが、エアコン対策として28度設定の順守、AM9:00まではエアコンをつけない、PM6:30でエアコンを切るを全社で実行中です。今の時期会社は繁忙期、多くの社員が営業から遅く帰り、事務系の人たちも残業をしています。暑い中疲れて帰ってきた社員や伝票整理が追い付かない社員が自主的に残業していただく中で、エアコンカットと言うのは、何のため、誰のためという気分にも正直なります。第一に電力が不足しそうなのは、昼間の1時から4時ごろまでと聞いているので、朝と夕方エアコンを切ることは、あまり意味がないのでは・・・? これは単に労働生産性を落としているだけではないか、また節電などと言っているのも社長の「メンツ」だけの問題ではないかと自問自答する日々です。
 しかしそうは言っても日本は団結の国、なでしこジャパンが勝利したのも、団結の力だと本当に思うので、我社も何かしら課さないと世間に申し訳ないと思うのは私だけではないだろう。日本中の中小企業の社長はそう思っているのではないだろうか? 
 しかしカッコを付けるわけではないが、それでも節電の取組は必要と改めて感じています。エネルギー消費をこれ以上増やさずに暮らす、工夫するということはとても意義深いことだと思うし、わが社は大きな目で見れば「環境系企業」、農業は生命産業なわけですから、環境破壊、少なくともエネルギー消費についてもっと敏感な会社になるべきだと思っています。会社としてチームマイナス25にも一様参加しています。とは言っても現に暑い中クーラーなしで働いている社員から見れば社長のたわごとに映るかも・・・。

2011.05.30 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

農業委員会について

  久しぶりのブログです。しばらくご無沙汰していました。当社は4月30日決算、その後GWを挟みながら、経営計画発表会等もあり、あっという間の1ヶ月でした。しかし当社のビジネスにとってはこの5月から6月までが大変重要です。秋冬作物が中心の当地方においては、この時期に種苗の選択がきまり、また多くの施設園芸農家では、新たな設備投資案やリフォーム案が決まる頃です。売り上げ自体は少ないですが、この時期の動き次第で少なくとも上半期の当社の成績が決まってしまいます。
 小生、恥ずかしながら豊橋市において農業委員を務めています。豊橋の農業委員は定員40名 内35名は選挙により選出された委員ですが、残りの5名は公選委員となります。私は非農業者ですので、議会推薦枠で農業委員を務めさせていただいています。農業委員は若干の歳費もいただく特別公務員なので、公費をいただく以上、委員会の用事は常に最優先とせざるをえません。
 経営セミナーなどに行くと、「社長が、力もないくせに地元の名士気取りで公職を多数引き受けているような会社は倒産予備軍」とよく言われます。 私もその通りだとは思うのですが、「農業」は私にとって職業を離れてもライフワークと思っているので・・・・というか引き受けた言い訳として自分にそう言い聞かせています。
 豊橋では毎年この時期に市長あて及び農業会議所あてに建議書・要望書を取りまとめています。私の農業委員会での最大の役目はこの建議書・要望書に関わることなのです。その時期がちょうど5月になるので、個人的には少々つらい時期ですが、毎年地域農業に関わる問題や、農家の想いを聞くことができるので、自分にとっては大変勉強になります。今は24年度建議書・要望書作りの真最中です。メディア等では農業委員会不要論や、日本農業近代化の妨げになる圧力団体のごとき言われることもありますが、少なくとも豊橋では、委員の皆さんは農業の将来を真剣に案じている人ばかりです。農地には番人が必要です。番人がいなければ「錬金術師」や「産廃業者」にいいように振り回される可能性が高いからです。
 今年の要望書・建議書はまだできていないですが、昨年までのものは豊橋市農業委員会のHPで調べていただければ見ることができます。私は主に前文の作成に関わっていますので、一読いただければ幸いです。それではまた

2011.04.05 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

「お互い様」の心で支援

今回の震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

震災から間もなく1カ月と言うのに、明るい兆しがなかなか見えてきません。
その理由はあまりに被害地区のダメージが大きくかつ広範囲であること、そして福島第一原発の壊滅的な状況に光が見えないことにあります。
政府の対応も後手後手と言われますが、少しだけ擁護するならば世界でも前例のないほどの災害の復旧と原発のメルトダウン(再臨界)危機を同時に対処するようなリスク管理はまさに「想定外」と言わざるをえません。
原発事故は起こってはいけない事故なのです。
仮に千年に一度と言われるほどの事態であったとしても、原発は絶対安心が前提でなければ許されません。
そのような意味では原発は「未来の火」ではなくなったと思います。
抽象的ですが今回の東日本大震災は「文明の転換点」となると直感しています。


今回の地震はたまたま東北地方で発生しました。
私たちの地域も東海・東南海地震の震源域近くに位置しています。
今回関東東北の農業は大打撃を受けました。
被災、生産設備の壊滅、塩害、オイルによる害、そして放射能汚染の可能性、そして風評被害です。
甚大な被害の最中にある農家の皆様に対しては、政府と東電が全面的責任を持って、出来るだけ早期に営農が再開されることを願うのみです。
漁業も同様です。


東海地方は幸い今回ほとんど無傷です。
決して相手の不幸を逆手に取るような意味ではなく、関東東北の先行きが見えない間は、東海の農業が頑張らなくちゃいけないと強く感じています。
日本人は「お互い様」です。
特に農漁業は自然の猛威に最も影響を受ける産業ですから尚更です。
いつか東北の人に助けてもらわなくてはいけない時が必ず来ると思います。
日本の素晴らしい園芸農業が衰退しないよう、今は西日本の園芸農家が供給不足の生じないよう頑張る。
その過程で東北農業の復興を「お互い様」の心で支援する。
そんな思いで当社も仕事をしたいと思っています。

2011.02.22 [ 社長のつぶやき | 日々のつぶやき ]

IT世代

中東の騒乱が止まりません。根本的な理由は長期独裁政権の腐敗と抑圧、そして貧富格差の拡大であり、直接的なきっかけは食糧価格の高騰であると思います。そして政権打倒に至るまでのエネルギー源かつ触媒はインターネットであったことに間違いありません。「IT革命」と言われる言葉はありましたが、まさに現実の「革命」を主導したのです。


振り返ってみると私の年代(53歳)は、成人してからIT革命とともに生きてきた「生き証人」です。
私は大学時代(1977年)京都で「下宿」学生でした。もちろん親元を離れたのは初めてです。京都は昔から学生が多く「下宿屋さん」が数多くありました。1階には大家さんが住んでいて、2階や離れを学生に貸すのです。私は大家さんが住む真上の2階の真四角の八畳間を借りていました。大家さんに音が聞こえるのでテレビも買いませんでした。電話は大家さんの居間しかありませんから、今思うと親と連絡を取った覚えはほとんどありません。しかし親のことは日々の生活から抜け落ちていた不孝者といえども、青春時代です。「川西はん、おなごさんから電話どすえ」と大家のおばあさんが階段の手すりにつかまりながら連絡してきます。私は1階の大家さんのこたつのある部屋の電話で、こたつに入っている大家の家族の皆さんに聞かれながら、その「おなごさん」と話をしなければならないのです。かけてくる「おなごさん」も勇気が必要だったと思います。それが私の大学4年間の ITの実態です。


会社に入り(1980年)、しばらくしてFAXなるものが普及し始めてきました。それ以前はタイプライターを使ってテレックスという時代でしたが、海外貿易に用のない我社はテレックスなど使用していませんでした。
FAXの導入を巡ってはしばらく会社で議論がありました。つまりFAXがあることがわかると「蕎麦屋の出前」ができなくなると危惧をする人がいたのです。例えば見積書を早く持って来いとお客に言われて、今までなら「出来ていますので明日お持ちします」といえたのですが、FAXですぐ送れと言われると困るということです。ほどなくFAXは普及しました。

1980年代はワードプロセッサーの時代でした。字が下手、かつ整理のできない自分には、とても重宝しました。しかしベルリンの壁が崩壊した1989年にはまだインターネットも携帯電話もありませんでした(正確には一般社会にはなかった)。したがって東欧革命にはITの力は作用していません。

90年代に入るとパソコンが身近なものとなり、ポケベル時代を経由し、やがて携帯電話が普及し、やや遅れてインターネットが普及してきたように感じます。オフコンと言われた業務用コンピューターもほとんどパソコンネットワークに変わりました。

そして21世紀に入るとインターネットと携帯電話が融合し、今はスマートフォンの時代です。私もブログは少々書きますが、ツイッターそしてフェイスブックと言われるともう距離感がありますし、クラウドコンピューティングと言われると、その概念が理解できなくなっています。

ちょうど自分が大人になったとき、あるいは社会人となったときから、情報革命が湧き上がったように思います。良い時代に生まれたというべきかどうか?いずれにせよ新たな情報革命に必死になってついていこうとした最初の世代だったような気がします。私より上の団塊の世代の人の多くは、周回遅れで取り組んでいるように思えました。抵抗感や反発心のある人が我々の世代より多かった様な気がします。


そして今も経営の前線にいる以上、これからもIT革命についていく努力をしなければいけないと思いつつ、「まあこの辺で進歩も止まってほしい」と思っているのは私だけでしょうか?